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メゾン

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ルイ=フランソワ・カルティエ(1819-1904年)がパリのモントルゲイユ通り29番地に建つ、師匠アドルフ・ピカールのアトリエを継承し、メゾン
カルティエが創業されます。
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ナポレオン3世のいとこにあたるマチルド皇女がカルティエのジュエリーを初めて購入し、パリおよび世界の上流階級にカルティエを広め始めます。
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創業者の孫であるルイ・カルティエ(1875-1942年)がメゾンの経営に加わり、その後のカルティエの発展において重要な役割を果たすこととなります。
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ルイ・カルティエの発案によりブティックをパリのラペ通り13番地に移転し、同時に新たなスタイルを発表します。新古典主義からの着想と、他に先駆けて採用したプラチナを組み合わせたこの革新的なスタイルは、後に「ガーランド
スタイル」と呼ばれるようになります。

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年代
カルティエは、抽象画や幾何学的なフォルム、カラーコンビネーションを組み合わせた新しいジャンルのジュエリーを制作。アールデコ
スタイルを先取りしたものでした。
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ルイ・カルティエの2人の弟のうちの1人、ピエール・カルティエ(1878-1964年)がロンドンのニューバーリントン通り4番地に支店をオープン。同時期にロンドンではエドワード7世の戴冠式が執り行われました。
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カルティエはエドワード7世によって初めて公式の王室御用達に認定されます。その後、スペイン、シャム(現在のタイ王国)、ロシアなどの王室御用達に認定されています。
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ルイ・カルティエが、友人であるブラジル人飛行家アルベルト・サントス=デュモンのために、腕に着けることを前提とした最初のウォッチを制作します。
この頃ピエール・カルティエは、ロシアへの旅を実現しました。
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ピエール・カルティエは大西洋を渡り、ニューヨークの5番街712番地に支店をオープン。1919年には5番街653番地に移転します。3兄弟の末弟であるジャック・カルティエがカルティエ
ロンドンの経営を継承し、ニューボンドストリート
175/6番地に移転します。
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ジャック・カルティエはインドへ赴き、国の大きなイベントであるデリー・ダーバーに出席。その後1911-1912年冬にはペルシャ湾を訪れます。
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「モデルA」と名付けられた最初のミステリークロックが制作されます。
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カルティエにとって最初のパンテールが、ダイヤモンドとオニキスによるスポッツモチーフとしてブレスレットウォッチに登場します。
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タンク
ウォッチが誕生し、その後1919年に製品化されます。
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3つの環がひとつになったリングが誕生し、後に「トリニティ」と名付けられます。ジャン・コクトーはこのリングを最初に着用したひとりです。
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サファイア、エメラルド、ルビーに植物のモチーフをエングレービングした最初のブレスレットが誕生。このスタイルは後に「トゥッティフルッティ」と呼ばれるようになります。
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カルティエはパリで開催された現代装飾美術・産業美術国際博覧会(通称アールデコ展)に出展。当時最盛期であったスタイル、アールデコの名は、まさにこのイベントから付けられました。
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インドのパティアラのマハラジャ、ブピンドラ・シンがカルティエに式典用の壮麗なパリュールをオーダーします。

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1920年頃にメゾンの一員となったジャンヌ・トゥーサンが、ルイ・カルティエの跡を継ぎクリエイティブディレクターに就任し、1970年までその役割を全うします。「ラ
パンテール」の異名を持つ彼女は、華やかなカラーパレット、色としてのイエローゴールド、ボリューム、動き、しなやかさなどを通じて、ジュエリーにその痕跡を刻むこととなります。
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フランス占領期を象徴する「籠の中の鳥」ブローチの制作。1944年には「解放された鳥」ブローチが国土解放を祝うこととなります。
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ウィンザー公爵が公爵夫人のために、116カラットのエメラルドカボションにイエローゴールドのパンテールをあしらったブローチをオーダーします。これはカルティエが初めてパンテールの全身を立体的に表現したものです。
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カルティエ
ロンドンが、まるで車のタイヤに轢かれたかのようなケースをもつ「クラッシュ」ウォッチを制作。独創的で大胆なウォッチデザインです。
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メキシコ人女優、マリア・フェリックスが、全体が連結構造となった驚くべきスネークのネックレスをカルティエにオーダーします。

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ニューヨークで「LOVE」ブレスレットが誕生します。
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ニューヨークで「ネイル」(フランス語でクル)ブレスレットが創作されます。
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「マスト
ドゥ
カルティエ」の誕生。
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ヴェルメイユ仕上げのカラーダイアルを持つ「マスト
ドゥ
カルティエ」ウォッチの最初のコレクションが発表されます。
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ブレスレットに初めてゴールドとスティールを組み合わせた「サントス
ドゥ
カルティエ」ウォッチの誕生。

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「パンテール
ドゥ
カルティエ」ウォッチの誕生。
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象徴的なクリエイションを通して、カルティエ
スタイルの発展を記録するために「カルティエ
コレクション」が創設されます。こうしたメゾンのヘリテージを守り継承する活動において、カルティエはラグジュアリー業界の先駆的存在になります。その活動と創造性は文化芸術界で認知され、「カルティエ
コレクション」の収蔵品は、定期的に大規模な企画展として世界有数の文化機関で展示されています。
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現代美術に特化したフランス初の文化機関として、カルティエ現代美術財団が創設されます。ジュイ-アン-ジョザスに設立された財団は1994年に、パリのラスパイユ大通りに建つ、建築家ジャン・ヌーヴェルが手掛けた建物に移転します。
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「パシャ
ドゥ
カルティエ」ウォッチの発売。
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「カルティエ
コレクション」の収蔵品を紹介する初の大回顧展『L’Art
de
Cartier(アート
オブ
カルティエ)』をパリのプチパレ美術館で開催。
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「タンク
フランセーズ」ウォッチの誕生。
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メゾンの創業150周年記念の一環として、カルティエの大回顧展をロンドンの大英博物館とニューヨークのメトロポリタン美術館で開催。
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ジュエリーのデザインコードを再解釈した、「パリ
ヌーベルバーグ」コレクションの誕生。

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年代
カルティエは、毎年新たなテーマのハイジュエリー
コレクションを発表し、メゾンの創造性とサヴォアフェールによって、たぐい稀なストーンから生み出したクリエイションを披露しています。
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スイスのラ・ショー・ド・フォンにウォッチ
マニュファクチュールを設立。
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紛争地域を起源とするダイヤモンド取引の撲滅を目指す、キンバリープロセスを採用。
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責任あるジュエリー協議会(Responsible
Jewellery
Council)創立に参画。
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カルティエ
ウーマンズ
イニシアチブ
アワードの創設。
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「バロン
ブルー
ドゥ
カルティエ」ウォッチの誕生。
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回顧展『 Cartier,
Innovation
through
the
20th
century(カルティエ、20世紀のイノベーション)』をモスクワのクレムリン美術館で開催。
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グリプティック(宝石彫刻)のアトリエを創設。カルティエは、グリプティック(宝石彫刻)に特化したアトリエをメートルダール(フランス人間国宝)が率いる、パリ唯一のジュエリーメゾンです。
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カルティエ慈善財団が創設され、後にカルティエ
フィランソロピーと改名されます。
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フレグランス「ラ
パンテール」の発売。
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スイスのラ・ショー・ド・フォンにメゾン
メティエダールを創設。
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「ガーランド
ドゥ
カルティエ」バッグの誕生。
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「クラッシュ
ドゥ
カルティエ」コレクションの誕生。
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回顧展『Beyond
Boundaries:
Cartier
and
The
Palace
Museum
Craftsmanship
and
Restoration(ビヨンド
バウンダリー:カルティエと故宮博物院のクラフツマンシップと修復)』を北京の故宮博物院で開催。
その数ヶ月後には『カルティエ、時の結晶』を東京の国立新美術館で開催。「カルティエ
コレクション」が所蔵するアンティークピースからモダンクリエイションまでを見せる展示は、杉本博司氏と榊󠄀田倫之氏が率いる新素材研究所が手掛けました。
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パリ装飾芸術美術館が『Cartier
and
Islamic
Art:
In
Search
of
Modernity(カルティエとイスラム芸術、モダニティの源流へ)』展を開催。同展は、20世紀初頭から現代まで、イスラム芸術がカルティエのジュエリーやプレシャスオブジェに与えた影響を明らかにし、ルイ・カルティエ個人のイスラム芸術コレクションの名品から何点か展示される貴重な機会にもなりました。
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「心をつなぎ、未来を創る」というテーマを掲げた2020年ドバイ国際博覧会において、博覧会協会とカルティエのコラボレーションによって「ウーマンズ
パビリオン」が初めて万博に出展されました。
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伝説の場所であるラペ通り13番地が、2年間の大改築を経てリニューアルオープンし、新たに生まれ変わった姿を披露しました。
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「タンク
フランセーズ」が再び脚光を浴びるなか、フランス映画に着想を得たムービーを制作。監督にガイ・リッチー、主演にカトリーヌ・ドヌーヴとラミ・マレックを迎えた。
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このアイコンジュエリーの100周年を記念して、さまざまな愛の形をテーマにキャンペーンを展開。ポール・メスカル、ジス、ヤラ・シャヒディ、ジャクソン・ワン、ラビリンスという5人のグローバルアンバサダーが、象徴的な意味と想いが込められた3本のリングを通して、普遍的なメッセージを発信した。